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吉良慶信:昨日の自分と違うことをやる

記念すべき最初の一橋生は、商学部3年の吉良義信(きらよしのぶ)さん。谷保にあるゲストハウス「ここたまや」を経営する学生団体「たまこまち」の前代表でもあります。スポーツマンらしさの溢れるルックスですが、やはり高校までは野球に打ち込んでいたそう。「昨日とは違う自分」を常に追い続け、グレードアップし続ける吉良さんのこれまでと、その根底にある志に迫りました。

 

野球にも勉強にも全力を注いだ少年時代。 

2歳の時から茨城県で育った吉良さん。ご両親が野球好きで、小学3年生の時に野球をはじめました。最初から器用にこなすタイプだったそうですが、それ故にチームが負けても自分が活躍できれば良いという考えに陥ってしまった時期があったことも。

「その時に、父親からめちゃめちゃ怒られたんです。でもそれをきっかけにチーム全体を見るようになって、『チームで何かを成し遂げたい』っていう思いが芽生えた。チームを取りまとめたりもするようになって、気付いたらそこに楽しさも感じてて。後から振り返ると今に通じる部分だったなあと」

その後、小学5年生に父親の転勤でボストンに引っ越します。そこでは、日本と全く文化や慣習に出会い、慣れないことも多かったそう。しかし、そんな当時の吉良さんが現地になじむのを助けてくれたのも野球でした。野球のお蔭で現地の友人と仲良くなれ、楽しく過ごすことができました。

しかし、中学2年生の時に日本に帰国して地元の中高一貫校に編入すると、吉良さんは初めての挫折を味わうことになります。まず野球で壁にぶつかりました。アメリカでは日本ほど熱心に練習に打ち込む習慣がなかったことから、帰国後に所属していたクラブチームでは他のメンバーとの間に圧倒的な実力差があったのです。さらに日本の勉強にもついていけず、地学のテストでは最下位をとってしまったこともあるとのこと。

しかし、そこで挫けるような吉良少年ではありませんでした。野球にも勉強にも人一倍熱心に取り組んだ結果、どちらも上り坂になっていきます。

野球では、高校2年生の時になんと軟式野球部で国体への出場を果たしました。この経験が一つのターニングポイントだったそう。

「めっちゃいいメンバーで国体というめっちゃいい舞台で野球をしてしまったから、これを超える経験は野球ではできないなと思って、大学入って体育会系に入らないようにしようと思った」

スポーツ中心の生活に終止符を打ち、大学では体育会系に入らない決意をしたのです。

一方勉強面でも人一倍の努力を重ね、中学3年生の頃には学年3位の成績まで上り詰めました。吉良さんはこの経験を機に、

「自分より上の人がいる環境においてこそ自分は成長できる」

と考えるようになります。

そうして「自分が一番馬鹿になれる」環境を求め、高校1年生の頃から東大を志望したとのこと。

専攻に関してはかなり迷ったとのこと。ご両親が理系というのもあり、文理選択から迷った吉良さん。文系への進学の決め手となったのは尊敬していた世界史の先生に経済学部をお薦めされたことにあるらしい。このススメにピンときて経済学部に行きたいと思い、文系を選択。しかし、最終的には経営学系を目指すようになった吉良さん。そのきっかけには友人から渡された経営者の本があるとのこと。その本を読んでその生き方に感銘を受け、経営学系を目指すようになりました。

結果的に前期で東大には落ちてしまいますが、後期で受験した一橋大学の経済学部には合格。商学部への転学部を念頭に置いて、入学を決めました。

 

「昨日の自分と違うことをやる」をモットーに大学生活をスタート

スポーツに打ち込んだ高校までとは違う生活をしたい、と考えていた吉良さん。そこから、「昨日の自分とは違うことをしよう」というマインドが入学当初から生まれました。

「大学時代に共通していた考えとしては『昨日の自分とは違うことをやろう』というのがあった。新しいことがあったらとりあえずやってみようというマインドで色々参加したりして、新しい『たまたま』を引き出せるかを意識していた」

新歓期には、クラスメイトの多くが体育会系に入ろうとしており、気付いたら吉良さんも体育会系の新歓に通っていました。やはり、大学に入って最初のコミュニティであるクラスの影響は大きかったようです。しかし、GWに茨城に帰省して冷静に考えてみると、周りに流されていることに気づきます。その後、体育会系への参加を辞め、元々関心のあった経営学をアウトプットできる場として、たまこまちに入りました。

夏休みには、たまこまち以外にも、高校の友人にたまたま誘われて日中韓の国際ビジネスコンテストに参加したり、一橋の卒業生が集まる会でたまたま出会った先輩に紹介してもらったインターンシップを始めたりと、積極的に新しいことに挑戦。野球時代の教訓から、どんなきっかけでも、一度会った人との繋がりを大切にして、目の前の相手に誠実に向き合うことを常に心がけているそうです。

春休みには、ご両親の反対があったものの、二週間インドへのバックパック旅にも挑戦。そこで改めてゲストハウスの魅力と可能性を実感し、たまこまちへの思いを強くします。しかしその頃、世界中でコロナウイルスが蔓延しつつあり、たまこまちも危機に追い込まれていたのです。

たまこまちの代表となり、再建に尽力。

インドからの帰国後、吉良さんはたまこまちの危機に直面します。留学生や海外のバックパッカーをメインターゲットとしていたゲストハウスここたまやが経営難に直面し、メンバーのモチベーションも下がってしまっていたのです。

「対面で活動していた時は、地域の方の顔を見ながら手触り感のある活動ができた。だから自分達の活動の社会的意義も実感しやすかったんだと思う。でも、対面活動が禁止されている状況では、たまこまちの活動が地域にどんな影響を与えているのか実感しにくいし、人間関係の構築も難しくて、どんどんメンバーが離れてしまった。一時期は4人だけで活動していることもありました..」

そんなどん底を経験しながらも、吉良さんは「たまこまちの活動に本気で取り組みたい」と考えます。そうして三代目の代表を務め、その時々にできることを精一杯やっていきました。

まずはたまこまちの組織構造の改善に取り組みました。団体の理念を見直すことで、活動の方向性を見失わないようにしたり、メンバーのモチベーションが下がらないように1ON1制度を構築したり、組織内ワークショップを開催したり…このような数々の工夫が功を奏し、1年後には運営メンバーを30人ほどにまで拡大させました。

また、ゲストハウスここたまやの経営においても、友人を呼んだり、経営戦略を練るなどして地道に経営を続けました。

「コロナ前までは、そもそも客が来たら受け入れるという感じで受動的な集客しかしていなかった。逆に、コロナ禍に入ってからはたまこまちの魅力を考えて、能動的な集客を行うようになって。そうしたら、利用者数もコロナ前より増えたんだ!この頃は24時間たまこまちのことを考えていたと言ってもいいくらいだった。人生で一番夢中になっていたと思う。辛いことはたくさんあったけど、それを超える喜びや楽しさがあったから」

コロナという大きな壁に挫けない数々の努力が実を結び、運営メンバーの数も宿泊客も前年よりも伸ばすことに成功。そうして8月末に任期を終え、代表を引退しました。引退した当初はアイデンティティを無くしそうなほどの喪失感を味わったそうです。

休学という選択と、将来について。

たまこまちに加えて吉良さんの大学生活を語るうえで欠かせないのが、休学です。吉良さんは3年生にストレートで進学せず、この4月から1年間休学中です。

「3年生が始まる前に休学した理由の根幹は、『自分が将来何をしたいのか』が全く分からなかったこと。この状態で就活するとまずいと思った。自分の志を見つめ直すために、今やっている学生団体に力を注いだり、もっと勉強したいと思った。周りで休学している人がいたから、休学という選択肢が特別なものではなくて、だから抵抗感はあまりなかったかな」

将来は地方創生に携わりたいと考えているものの、具体的にやりたいことはまだ定まっていない吉良さん。地方創生への思いについても語ってくれました。

「いろんな社会課題がある中でも、自分事として考えられて、使命感を覚えるのが地方創生。受験期に都心と地方の格差を感じたことがきっかけで、どうにかしたいと思うようになった。さらに、たまこまちで活動する中でも地方創生の構造について考えさせられて、自分がやらなきゃと思うようになった。だけど、今はまだ自分が何をすれば良いのかが見えていないから、色々試行錯誤しています」

たまこまちを引退し休息期間に入っている吉良さん。現在は焦りつつも焦りすぎることはないようにしながら、「昨日の自分とは違うこと」を求めて様々なところにアンテナを張り、『たまたま』の出会いを探しているそうです。

 

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岡本 青

岡本 青

ライター

経済学部3年。澁澤塾運営・TFT一橋に所属。開発援助に関心を持ち、学部では開発経済学を専攻。「色んな一橋生と関わりたい」という思いから澁澤塾に入り、その思いがそのまま形になったかのような一橋名鑑にも参加する。書き起こし作業で録音された自分の声を聞く瞬間以外は楽しく活動中。好きな食べ物は広島風お好み焼き。

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